かたしな高原便り

片品村のフィッシングストーリー

2013年3月1日

・・・なんで片品で釣りなの?・・・

江戸時代、日本人は着物を着て馬や徒歩で移動していました。明治時代になると西洋からたくさんの新しい文化や技術が日本に入ってきました。洋服や蒸気機関車など新しいモノだけでなく新しい生活様式(ライフスタイル)も入ってきました。ゴルフやフライフィッシング(西洋毛ばり釣り)もその一つです。

フライフィッシング
フライフィッシング

当時のイギリスではゴルフ倶楽部(くらぶ)以上にフライフィッシング倶楽部が貴族や実業家などの社交の場でありました。それを知った日本の外務大臣や実業家など日本の上流階級の人々が、海外の文化を取り入れ外交に役立てようと考え、フライフィッシングを楽しむ場所として選んだのが片品村東小川の丸沼であったのです。

片品村丸沼
片品村丸沼

こうして丸沼は日本初のフィッシングリゾートとなり、海外の重要なお客様を迎える「マス釣り外交」の場となりました。それは金精峠を越えて中禅寺湖にも広がり、各国の大使館が湖畔に建てられ国際交流の拠点となりました。そして第二次大戦後はフライフィッシングやルアーフィッシングなどスポーツとしての釣り文化が日本の一般の人々へも広まっていきました。

だから片品はフライフィッシングの聖地であり、日本のスポーツフィッシングの幕開けの基点でもあるのです。

(文・吉田千恵)